共通点→麦とかのだんご、お腹をふくらませるため、汁(湯)が多い。
学童そかいで生き残った子どもたち
戦争が終わった後、沖縄の子どもたちは、本土のこどもたちより1年遅れて沖縄に帰って来ました。
帰って来た子どもたちの中には、沖縄戦によって家族を失い独りぼっちになる子どももたくさんいました。
集団そかい先で犠牲となった子どもたちの数
項目 | 人数 |
犠牲となった子どもたち (集団そかい先で亡くなった子どもたち) | 767人 (330人) |
| 救助された子どもたち | 59人 |
学童そかい先
学童そかい先は、大分県・宮崎県・熊本県の3県です。
大分県には7校、宮崎県には32校、熊本県には28校がそかい先にえらばれました。
仕事と学校
戦争の時の子どもたちは、砲弾運びや竹やり訓練をしました。勉強は、『ヘイタイさん、ヘイタイさん、ススメ、ススメ、』の文章が、有名になりました。
田舎への集団そかいもありました。中学生、高校生は特攻隊や兵隊になりました。
中学生の女子は、女子学徒兵になって医薬品や包帯の入ったかばんをもって病院で手伝いをしたそうです。
女子学徒兵の中には、流れ弾に当たって死んだり、医療かばん目的で殺された学徒兵もいたそうです。
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まとめ
今まで、戦争についてくわしく調べたことがなかったので、戦争中の子供たちの様子や、その時の食料、着ていた服などについて少しずつ分かってきました。
調べたあと、「戦争中は苦しかったんだなー」と、思いました。今は、子供も普通に学校に行けるし、服もいろいろあって、食べる物にも何不自由なく暮らしています。だから、もう二度と戦争はしないでほしいと思いました。